東洋水墨美術協会

雑感

 水墨画を評するに「水暈墨章」(すいうんぼくしょう)「墨に五彩あり」の言葉があるように、色彩を超越した色と紙の余白による実と虚の階調によってあらわされる水墨画は単に形象を描くのみではない。心で感じ魂でとらえたものを自己の主観として表現して独自の美の世界を形成する東洋独自の、いや現代に至っては日本独自の伝統芸術である。

山水 水墨画の根源には、茶道や禅の精神と切っても切れない関係があるようである。特に、海外では当初から水墨画に関心があるという人は少なく、禅を学んでいくに従って水墨画に興味をもつ人がいる。私も海外で水墨画のデモンストレーションを行うと「禅と水墨画はどんな関係があるのですか」というような質問を受ける。そんな時、私は「禅は人間のもっている全ての欲望を捨てることにあり、水墨画も同じように『減筆、減墨法』で余分な色彩を減らしていって行き着くところが白と墨の世界である。筆数が多いと絵がどんどん写実的、説明的になってしまい、精神面の入り込むスキがなくなってしまう。それらの余計なものを『捨てる』という文化が同じではないかと思う。ただ禅の捨てるというのは精神面で、目に見えにくいものなので、それを目に見えるようにしたのが、水墨画と考えられる」というと、納得してもらえる。

 私もはじめからこのような考え方をして水墨画に取り組んできたわけではなく、模写、模倣をして、いわゆる上手い絵にあこがれ、他人から誉められるような絵を目指していた時期もあった。しかし、水墨画は技の習得ばかりでなく、精神面の修行も大切なことがわかってきて、取り組む姿勢も変化してきたようだ。

 水墨画は、簡単な道具で遊びにもなるし、精神面の充実にも力を貸してくれる白と黒のたいへん面白い芸術だと思う。他人から見て「上手い絵だね」ということは、自分に与えられた最大の誉め殺しだと心に念じている。

合掌 鐵心

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